本館でも時代物を扱っているせいか、
そちらで浚ったこともあるほどに、
古来よりの行事には妙に詳しくなってる当方でして。
そんな“又聞き”のお話しをば、
こちらのお部屋でもちょろちょろ撒き散らかして来たものですから。
読み手の皆様におかれましても、
ああまたかいと思われる方も大きにおいででございましょう。
よって、端午の節句にまつわるゆかり云々は省略とさせていただきますが。
「何だ何だ、のっけから手抜き宣言かよ。」
何ですよ。
ひとしきり並べれば並べたで、
毎年毎年 同んなじ話ばーっかり繰り返しやがって、
年寄りはこれだから…とか言うくせに。
「決まってんじゃねぇか♪」
ううう、書く人までもてあそぶなんて、
性悪にも程があるぞ、こんの…………。
「こんの?」
…もういいです。(嘆)
旧暦だと梅雨の曇天の始まる頃合い。
そんなせいか、
徐々に気温は上がり、ついでに湿度も上がり出すため、
さすがに風邪の心配はなくなるものの、
今度は食中毒などでお腹を壊すという、
そちらの病への恐れが出て来る時節の到来。
なので、殺菌作用のある笹の葉で巻いたチマキを食べたり、
菖蒲の葉を浸した酒を飲んだりして、体を養ったとされとりまして。
その、菖蒲の葉ですが、
これを入れた湯に浸かることが広く奨励されたのは、
江戸まで時代が下がってから。
ゆず湯と同じく、
“昔はそういう習わしがあったんですって”と、
宣伝文句に持って来て銭湯においでなさいませという広告を打った。
それが人から人へ、
こんな話を知ってるかい?という“蘊蓄”として広まったんだそうで、
それまでは、そういう故事があるとは知られていても、
それほど皆が皆やってたわけじゃなかったそうです。
「…だよなぁ。
第一、菖蒲うんぬんってのは武家が好んだ風習らしいしよ。」
枕に使った菖蒲湯のお話、その尻尾を引っつかみ、
うんうんと感慨深げなお顔をするのは。
筆者がそういう長ったらしい枕話をするのへ、
茶々ばっか入れ倒してくださる当家のうら若きお館様で。
「お武家、ですか?」
「ああ。」
微妙に後の世の話になるのだが、
重装備して戦場で大暴れする身だからか、
平安の主流だった蒸し風呂が、
鎌倉時代の間に徐々に沐浴主流へ変わるのも連中の習慣からのこと。
侍たちが頭をあんな微妙な剃り方すんのも、
兜で頭が蒸れたからだって言うしな、と。
だから、
あんたたちからすりゃあ“後世”の話を持ち出すんじゃないっ。
……との、
いつものお約束MCを挟みましたる、
此処は一体どこかと訊くのも白々しい。
神祗官補佐殿が住まわれる、
京の都の随分と場末の、
毎度お馴染み、あばら家屋敷の濡れ縁であったりし。
花散らしの雨と呼ぶにはちと遅め、
卯の花腐しには早いめの、
強い風とともに来たりた緑雨とやらが。
昨日の宵から昨夜にかけてと、
ちょっぴり暴れもって通り過ぎたばかりな庭先は、
乾き切らない露を宿した梢の若葉が、
風に揺れつつ朝日に光り。
新緑のはつらつとした色合いとも相俟って、
何とも瑞々しくって綺麗なこと この上もなく。
雨上がりの小寒むを避けよとの配慮から、
書生の瀬那くんや仔ギツネ坊やのくうちゃんなぞは、
しとうすという足袋を履きの、
お膝や肩には すとぉるという毛織りの布を羽織りのと、
万全の態勢になって…何をしているかといえば、
「 ……………っ、だ〜〜〜〜っっ!!」
「ああっ、お師匠様、放り投げてはなりません。」
ていっとばかり大きく振りかぶって、というか、
万歳してそのまま頭上高くへ、
蛭魔が放り投げるように投げ上げたのは、
ぐるぐるとよじられた笹だか竹だかの細長い青い葉と、
中途半端にくるまれかけていた白い餅。
気が短い当家の当主が苦手なものといや相場も決まってて。
手先での細かい作業が要りような、
竹の葉でチマキを作っていた最中の皆様であり。
「ったくよっ。
何でまた、こ〜んな面倒なもんが有り難いんだ、大陸の奴らはよっ!」
「……またそんな、大きなくくりで八つ当たりをする。」
どんだけ怒っているのかの大きさの表明なんだろうけれど、
それにしたって癇癪を起こした対象が微妙に問題で、
「食べるものを粗末に扱ってはなりませぬよ、お館様。」
「……………おお。」
一緒に巻き上げ方のご教授を受けていたセナくんが、
素早く身を延べ、はっしと受け止めたチマキは、
ご祈祷に使う方じゃない、食べられる方だったため。
さしもの蛭魔でも余計な口答えは賢明でなしと思えたほどに、
ちょみっと迫力があって おっかなかった、
庫裏担当のおばさまだったのも無理はなく。
「そもそもは、
昨年教わった巻き方を忘れたって、
お師匠様が言い出しての作業でしょうに。」
「…まぁな。」
何をお前までが上から物を言うとるかと、
セナくんのお言葉へはちろんと鋭い視線が飛んだものの。
厄よけのチマキは、
それなりの霊力があるお人が
手づから作った方がいいに決まっており。
当家のあちこちへ張られた結界の、要めになろう縁起物。
それだけは蛭魔本人が作ると決まっており。
「判ぁってるよ。
宮中に収めたただのお飾りなんかじゃあ
足元にも及ばねぇ強力なの、
この俺様が作ってやろうじゃねぇか。」
大体、餅巻きで練習なんて、妙な大事を取るからややこしいんだ。あんなぬるぬるしてるもんじゃ巻きにくいに決まってんじゃねぇかよな、此処をこうしてそれからこっちを指で留めての、あっちのを向こうから回して来て くるんと巻いて。一旦ここは…織り込むんだったかな? そいから、ここを斜めに上がっていけるようにって、角度をつけて折り込んで…だな…………あれ? この端っこは下に巻き込むんだったよな。ってゆうか、本体の芯棒はどこ行ったんだ、埋まってんのか? 手で押さえてる? 違げぇってこれじゃなくてだな〜〜〜〜〜っ!!
「………葉柱さん。お手本見せて上げてください。」
「おお。」
頭に血が上ってるお館様には、くうちゃんの無邪気なお声も届きゃせぬ。
お館様より手も指も大きけりゃあ、力もあって。
何より邪妖であるはずの彼のほうが、
実は実は こういう作業は上手なもんだから。
とうの昔に濡れ縁どころか広間からさえ退避した皆様に、
その広い背中を押され。
しょうがない野郎だなぁと、
今お越しになったばかりだってのに、
状況が判っておいでらしい蜥蜴の総帥様。
お廊下をひたひたと進み行き、よお、とのお声かけから始めておいで。
「おととしゃま、だいじょぶ?」
「ん? うん、大丈夫だよ。」
さっそくにも げしっとばかり、
脛かどこかを蹴られたらしかった後ろ姿だったけれど。(笑)
それでもね、案じるようなお声でくうちゃんから訊かれた、
お兄さん弟子のセナくんの笑顔は、微かにだって陰りはしなくて。
そしてそして、小半時も過ぎたころには
やっと完成したとの安堵の吐息をついてなさるお二人へ、
少し早い目ではありますがと、
セナくんと くうちゃんとで
昼食の白粥と様々な付け合わせの小皿とを運んでおいで。
黒塗りの高杯に盛り付けられた粥の出来ようは、
米の甘さがちょうどよく出ている絶品の炊き具合。
それへと添えられた付け合わせは、
こちらのお館様へと割り当てのご領地からの付け届け、
鮭やカレイの塩漬け干しを炙ったものや、
クワイの煮付けに青菜の煮びたし。
カブの塩漬けから塩を抜き、甘酢漬けに仕立て直した香の物に、
今が旬のアジを甘辛く煮た煮付けにと。
豪勢な膳を並べつつ、
さっそくにも広間の一角、鴨居の上へと据えられた、
緑も真新しいチマキを見上げた書生の坊や。
“この1年、どうかつつがなく過ごせますように。”
誰へともなくのお祈りを、その胸中にてこそりと呟いたのでありました。
〜Fine〜 11.05.05.
*平安時代のお話を書いていて困るのは、
まだ“お茶を飲む”という習慣がないことで。
このお話にも時々出しておりますように、
既に宇治で栽培していたほどで、存在しない訳ではないのですが。
今のような気安い嗜好品じゃあなかったでしょうから、
じゃあ、昼間っからは何飲んでたんでしょうかねと。
つか、お茶にお菓子が普通の感覚になってる今って、
どんだけ豊かなんだってことなんでしょうかね。
(それか、貴族の方々には夜中が社交の本番なんで、
昼の過ごし方なんてのはさして重要ではなかったものか…。)
めーるふぉーむvv 
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